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2020.05.31

厨房の人は知らない人/月刊PHP6月号

投稿者:片桐

群馬県桐生市に「はっちゃんショップ」という食堂があります。

お昼ごはんがバイキング形式500円食べ放題というびっくりな食堂ですが、ここのオーナー田村はつゑさんがもうびっくりな方です。学校にも行けず十歳のときに奉公に出されて、親のために働いて…結婚して(旦那さん色男で愛人が6人いたそうな)3人のお子さんを育て、57歳のときにバイクで日本一周一人旅にでかけたそうです。バイクはスーパーカブ。学校行ってないからひらがなしか読めないので、息子さんが漢字のない地図を作ってくれたそうです。

その日本一周後に食堂を開いたのですが、大人500円、小学生以下は無料の食べ放題って原価割れに決まっているお店です。

驚きのエピソードがいっぱい出てくるんですけど、話を聞いている最中に常連さんがはつゑさんに声をかけました。

「はっちゃん、あの人だれ?」

いつの間にか厨房でずっと洗い物をしているおばさんのことです。

「知らん。顔見たことあるけど名前は知らん」

知らない人が勝手に厨房に入って洗い物を始めている。いったい何なんでしょうこの磁場は。

取材陣一同のけぞりましたが、平気なはつゑさん。黙々と洗い物するおばさん。

大繁盛のお店なので、洗い物の数も大量です。たぶんおばさん1時間以上は洗い物していました。

その間はつゑさんのインタビューをしながら、取材陣は常連さんが差し入れてくれた饅頭をいただいていました。

おばさん、洗い物がようやく終わり、「じゃあ」と言って帰ろうとします。

「あんた、ありがとね」と、はつゑさん。

「これ食べて茶飲んでいきなよ」と、常連さん。

「あたし甘いの嫌いなの」

「一個くらいいいでしょ」

「いやいや」

「ほれ」

押し問答の末、饅頭を手渡されたおばさん、それを4つにちぎって編集さん、ライターさんと僕に渡し、自分は残りのひとかけらを口に押し込んで帰られました。

勝手に洗い物するおばさん。

饅頭ちぎっちゃうおばさん。

それがなんだか当たり前のような顔してるはつゑさん。

そしておばさんの名前はわからないままでした。